「食べる」の考察
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生物が持つ習慣
普段何気なく行なっている習慣はたくさんある。
例えば...
・寝ているときに、熱いから布団をどける
・歩く時に、勝手に手を上下に振る
・シャワーを浴びる前に、温度を確認する
などなど。
これら習慣は人によって様々あるが、「食べる」と言う習慣は全人類が持っている。いやいや全生物が持っているのだ。
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「食べる」の再考
ある北海道の酪農家さんから聞いた話しが忘れられない。
生物は食べる事によって、生きる事が出来る。人間だって生物だから、生きるために「食べる」し、食べるために、栄養を摂るために体の構造を改善して来た。
時代が経つに連れて、だんだんと食べる能力が落ちて来てしまった。かつては栄養の乏しい物から幾らかでも栄養を摂ろうと、食べる側は必死だった。これは食べられる側も同じく必死で、例えば草は食べられないために葉を硬くした。
だけど今は簡単に栄養を摂る事が出来る。ポテトチップスを食べて、栄養を摂るのには何度も噛む必要はない。ジャガイモだって、畑にいれば勝手に栄養を貰えるから、自分が生きるために根を長く長く伸ばす事はしない。
だから食べる側も、食べられる側も弱くなって来ている。生命力がなくなって来ている。
本当に頑張って食べていると、生きているといつの間にか「大地から自然から恵みを受けている」と言う気持ちになっている。それもそのはず。食べ物は元々を辿れば岩石や太陽のエネルギーから出来た物だ。自然なくして生きては行かれないんだ。
この話しを聞いたときのインパクトは大変大きかった。食べる事を通して「自然の恵み」を感じると言う事が衝撃的であった。そして食べる側も、食べられる側も生きるためにより自分を強く、巧みにしていて、これが生命力を感じさせるのだと知った。
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食べる事、食材を見つける事、育てる事、料理する事ー躍動感ー
僕が2ヶ月程前に経験した食の話しを1つ。
あるイベントで豚肉を使い、それが余った。1日常温で放置をしてしまい、食べるか処分するかで迷った。
迷っているときは、人はかなり動く。文献や人の話しを集め、また豚肉を触ったり、匂いを嗅いだ。五感をフルに動かして、「食べれるか?どう工夫すれば良いのか」考えた。
最終的には食べた。表面を良く洗い、雑菌を出来る限り落とした。そして片栗粉を付け、揚げた。口におそるおそる運び、普段よりも慎重に下あごを動かし、味を確かめた。
食べる事が出来る最低ラインをわずかに越えていた。
この時は五感を使い、そして体全身を使って、食べた。いつもの食べるとは違う、躍動感を味わった。
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まとめ
- 食べる事は全ての生物が行なう
- 食べる事は生命力と結びついている
- 本気で食べる事からは躍動感を感じる