海洋生物料理人

海洋生物、海、またそれ以外も環境、生物について見識を深めて行きたいです。

被爆体験を聞いて。

広島での原爆被害者で、その体験を語り継いでいらっしゃる、岡田恵美子さんの講演に参加した。「次世代につなぐ平和」、2017年11月11日札幌にて。

 

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この講演に参加したと思った理由は、2年前に遡る。大学3年生の秋、私は四国九州巡りの旅に出掛けた。どうしても四国に行きたかった。四国には美味しいものが沢山ある。そしてしまなみ海道や、芸術の島など地域の自然を生かした取り組みが為されている。

 

だから行った。突然旅を決めてしまったものだから、1人旅。

 

四国は香川、愛媛。九州は大分、熊本、福岡を旅した。福岡から、実家の長野に帰る途中、私は広島で途中下車した。

 

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なぜか?旅をしているときに「日本の戦争、原爆」の事をよく知らない事に気づいたから。そして、広島にちょうど通りかかったから。

 

平和公園を歩き、資料館を見て回った。資料館で展示を見ている時、急に涙が流れて来た。止めようが無かったのを覚えている。でも本当の事はよく分からなかった。不幸にして、被爆の経験がある方からお話しを伺わなければと思っていた。

 

それから2年して、今回の講演会に参加した。

 

岡田さんの被爆体験

岡田さんは8歳の時に、被爆をし、実姉を被爆で無くされている。お姉さんは原発ドームのすぐ近くに居られたと言う。岡田さんは原爆から2キロ地点に居られたが、頭を触ると髪がほとんど抜け落ちたとおっしゃっていた。当時放射線の事を知っている方は全く居らず、緊急で全国から駆けつけた医師も理解していなかった。

 

家は爆風により崩れ落ち、ちょうど食事時であったため、釜戸、七輪の火が燃え広がり、火災でも多くの方が亡くなった。周りには柱の下敷きになる人、水を求め川に入ったきりの人、皮膚がただれた状態で彷徨っている人...。数えきれない程の苦しんでいる方がいたと言う。

 教育の事

岡田さんは国内だけでなく、海外でも語り部をされている。視察をするうちに子供の事を考えるようになったと言う。教育や親との関係が子供に大きな影響を与える様を目の当たりにして来た。また日本の教育も危惧しておられた。上の立場の人から意見を言われた時に、「違う意見を持っています」と言えないのではないかと言う事だ。

 子を持つ事

岡田さんは女性であり、お孫さんを授かってらっしゃる。後半では「子を持つ」事について話しがあった。岡田さんは被爆故に病気をお持ちであり、娘さんにも病気があるという。病気があると分かったのは娘さんが大人になってからと言うが、その時大変苦しい思いをされたと言う。湾岸戦争ベトナム戦争チェルノブイリ原発事故、福島原発事故等でも授かった子供が病気を発症する被害が出ている。自分の子供までが被害を受ける苦しみは、一体どれ程のものか。未だに原爆の被害が生き続けていると実感する。

 今の状況を変えるには

今年ICANノーベル平和賞を受賞したが、その事にも触れた。日本政府は核兵器禁止条約に賛成をしていない。そして現在核爆弾は全世界に1万5千発以上あると言われている。なぜこれほどの数あるのだろうか。講演会は映画「atomic mom」の上映も行なわれた。映画では被爆で苦しむ方、原爆に関する研究をした過去があり、苦しむ方、原爆実験で苦しむ方が描かれていた。原爆を落とした国も、落とされた国もどちらも苦しむ方がいる。これは「いけない」と分かっても、生活がかかっているから、見たくないものは見ないで来た。機密事項を破ったら、命がないかもしれない。そんな苦しさが伝わって来た。

 

私は中学の時、いじめに加担した。これでは「いけない」、「息苦しい」と思っても、多数に立ち向かわずに、加担していた。今の原爆を作り出している状況もこれと同じなのではないか。「このままではいけない」、「こんなものを生み出してはいけない」と思いつつも、周りには多数がいる。その中で「本当の自分の意見」を言うのは怖い。人間は社会性を持つ動物だから、社会から阻害される事を怖いと思うのは当然。

 

でもそれを飛び越えないといけない。

 

「私には出来のるか」と、問う。

 

かつて魯迅の書いた本で、この様な文を目にした。少々記憶が曖昧なので、正確ではない部分があるが。

 

魯迅が日本に滞在していた際に、母国の状況を聞いた。当時は日本軍が進出している時で、日本軍は民間人を取り押さえ、1人ずつ刀で殺していたと言う。魯迅が残念に思ったのは、もちろんその様な状態にある民間人であるが、それ以上に殺される民間人を傍観している、見物している民間人、そして刀を持っていない日本兵である。彼らは笑っていた。仮に民間人が助けようとすれば、殺される。そして日本兵が仲間のやっている事を「やってはならない事」として、阻止すれば殺される。彼らは笑っていたが、それは本心なのか?殺されるのを覚悟で助けるのが普通なのではないか。なぜそのような行動が起きないのか。魯迅はこの状況を憂いだ。

 

「出来るのか?」
— 分からない。いや置かれている環境に本心でない部分があるから、飛び越えてない。

 

核爆弾を世界中から無くすのは、とてつもなく難しいであろう。特に教育でその様なものが良いとされていると難しいと、講演で話しがあった。その話しを聞いて、参加者の方から意見があった。そのように教育を受けた方にも、核爆弾のない社会は可能である、と示す事は出来るのではないかと言う意見だ。「あなたの考えは間違っている」とNOの姿勢で対峙するのではなく、「この様な考え方もあるのでは」とYESの姿勢で対話するというものだ。この様に考えたとき、意外と核爆弾を無くすのは簡単と思えるかもしれない。「後の世代にどんな地球を残したいか」、「どんな社会が好きか」を素直に話せたら。そしてこれが草の根の活動で広まって行ったら、いつの間にか無くなっているのではないか。

 最後に

今回の講演では、参加者の方からも身近な人の戦争体験をお聞きした。隣にいた友人が亡くなった。どうしても軍歌は歌えない。その様な過去を経て私たち世代は生まれた。こう思うと、今生きている事が奇跡である。私は今回の講演会に参加し、ある使命感を持った。「今日感じた事、聞いた事は伝えて行かないといけない」。過去は決して無視する事は出来ない。そして過去を知る事で、使命感を持ち、それが自分を生かしてくれるとも感じている。